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机の上に、木製の小箱があった。 東沢氏は掌を広げて、そっと埃を払う。 「……二十年近く前の話だけど。その頃、付き合っていた女性がいてね」 ちょっと長い昔話だが、聞いてくれるかいと微笑んだ。
北海道、札幌市。 当時大学生の彼が愛用していた、一本の腕時計。 当時の彼女から贈られた品である。 「勿論学生の時分だからそんなに高価な訳じゃない。でも、とても腕になじんでて。……体の一部みたいなもんだったな」 卒業を間近に控えた、ある日の外出中。 ふと文字盤に目をやると、ガラスが真っ二つに割れている。 慌てた。 どこかにぶつけたのかも知れないが、覚えがない。 「すぐ交換してもらおうと思って、近くの時計屋に持ち込んだら」 店主は即座に「直せません」と突き返してきた。 径の合うガラスが無いのかと尋ねると、そんな問題ではないと言う。 逆に、何をしたらこうなるのかと時計屋の主人に問い返された。 東沢氏は、分解された内部を覗き込み、息を呑んだ。 「もう、バラバラなんだよ。ゼンマイや歯車が、粉々に割れて」 修復が不可能な事は素人目にも明らかだった。 どうしてこんな事に。 彼自身、まるで気づかないうちに。 店主は愛想笑いを浮かべながら、新しい時計を勧めた。
数日後の深夜。 東沢氏は壊れていた時計の事を思い出す。 彼女との、長い電話の最中。 内容は、別れ話。
三重県の実家へ帰省する機会があり、捨てあぐねていた件の時計を処分した。 「竹藪に放り投げたんだ。家族も承知の仲だったから、だいぶ心配されたけどね」 東沢氏は小箱に手を置いたまま、ふぅ、と溜息をつく。
「札幌の大学を卒業して就職が決まると、今度は横浜へ引っ越した」 神奈川県横浜市にアパートを借りた。 だが新生活を始めて間もなく、彼は体調を崩し寝込んでしまう。 昼夜も定かならぬまま高熱に浮かされ、布団の中で熱く湿った息を吐く。 夢と現の境界線上で、見覚えのある女性に出会った。 別れた彼女の母親だ。 『あなたは、本当にわたしの娘と別れてしまうのですか。もう、元のようには戻れないのですか』 ひどい顔色だった。 娘の様子を見かねて、俺を説得に来たのかも知れない。 ああ、そういえば自分は随分と気に入ってもらっていた。 でも。 「でも……、すみません、お義母さん。もう、無理なんです。すみません」 朦朧としつつ、やっとそれだけを言った。 熱で鈍磨した頭にいくつもの理由が浮かんでは消える。 しかしそれを、必死に説明したところで何になるだろう。 関係が修復される見込みがない以上、自分にはもう、謝る事しかできない。 「すみません、お義母さん。すみません……」 色々とお世話になりました。 本当に良くしてもらっていたのに。 一体、どう謝罪すればいいのか。 咳き込み、顔をしかめながら頭をもたげた。 眩しい。 西日が差しているから夕方なのだろう。 荒れた狭い部屋には、自分一人。
数日間の闘病の後、何とか外出できるようになった。 パジャマにサンダル履きのまま少しだけ散歩をする。 病床で見たのは、罪悪感から来る幻だったのだろうか。 そんな事を思いながら近所の公園に足を伸ばすと、通りの彼方を行く人影が目に入った。 動転し、目を疑う。 別れた彼女だ。 「嘘だろ……」 札幌から横浜まで追いかけてきたのか。 俺の部屋を探しているのだろうか。 覚束ない足取りで駆け寄る。 彼女は、す、と建物の角を曲がった。 商店街の入り口を抜ける。 駅前を通り、そのまま住宅街へ。 東沢氏は懸命に後を追う。 だが、その距離が一向に縮まらない。 それほど急ぎ足にも見えぬ女の足どりに、いくら病み上がりとは言え大の男が追いつけない。 足元がもつれ始め、パジャマに冷や汗が滲む。 「そんなはずは……、おい、待ってくれ! 待ってくれ!」 やがて、完全に見失ってしまった。 袋小路が多く、狭い町である。 病がぶり返すのも構わずに半日ほど町内を歩き回ったが、結局、彼女の姿はどこにも無かった。 「――後から聞いた話だけど、彼女も俺と同じ頃に病気を患って入院していたそうだ。札幌でね。そして彼女の母親は、もうとっくに亡くなってた」
小箱を包むように置かれていた彼の手が、静かに動く。 蓋を開けた。 「それから何年後だったか、俺は今のかみさんと結婚して横浜を出ることになったんだが……。引越しの最中、学生時代の品々と一緒に、この小箱が出てきたのさ」 まるで見覚えが無かったと言う。 誰が持ち込んだものなのかわからない。 彼は、箱の中をこちらに向けた。 「……泥と、擦り傷だらけだったよ。竹薮だったからな。今はこうやって、時折磨いてやるようにしてる。誰のためでも無い。……あの頃これは、確かに、俺の体の一部だった」 |
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» 時計(2) [ささいな恐怖のささいな裏側から] × 話全体の印象は(1)よりはウェッティな感じを受ける。しかし、(1)に増して文章の ... 続きを読む
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