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幽体離脱接近遭遇(5)
 ある夏の終わり頃。
 早川君はいつものように、地元の商店街を漂っていた。
 まだ夜も浅く、歩道には人の通りが絶えない。
 塾帰りの学生。コンビニ前の若者。管を巻く酔漢。
 それらの間を縫って、すいすいと遊泳する。
 ―――比喩ではない。
 彼は文字通り、浮遊していた。

「どう表現したらいいのかな。丁度歩いてるぐらいの速度で、目線も普段の高さと変わらないんです。違う事と言ったら……」
 空中を、滑るように移動できる。
 つまり物質としての肉体を伴わぬまま、夜の町を散歩している。
 彼の体は、アパートの自室で睡眠中なのである。
「初めて【抜けた】のは、まだ二十歳前でした」
 当然、恐怖はあった。
 元の体に戻れるのかと不安も覚えた。
 だがそれよりも、肉体を「抜ける」という異常な感覚、その痺れるような解放感が彼を圧倒した。
「病み付きになっちゃったんです。あれは本当に、経験しないとわからないとは思いますけど……」
 密かな楽しみにしてる面もありますね、と早川君は笑う。
 「夢」が、必ずしも望みどおりに見られるとは限らないのと同様、抜けたい時に必ず抜けられる訳ではない。
 だから、何かの拍子にチャンスが訪れれば、存分に楽しむ。
 スタビライザー・カメラを通したように滑らかな視点移動。
 重量感のない体。
 浮遊。
 浮遊。
 浮遊。

 その夜も、時折地面スレスレを滑空したりしながら、煙草屋の角を曲がった。
 幽かにテレビの声が聞こえ、店主の婆さんがまだ起きているのがわかる。
 通常有り得ない角度でコンビニの看板をかわして、馴染みの書店まで差し掛かった時。
 前方から、自分と似たようなモノが近づいてくるのに気づいた。
 そいつは明らかに、飛行していた。
 酔漢の合間を縫い、居酒屋の提灯の横をするりと抜け、宙を滑る。
 同類だ。
 初めて見た。
 しかも。
「……それ、よく見ると友人の池田って奴なんですよ」
 こいつも【抜ける】奴だったのかと面喰らう。
 こちらに気づいたようだ。 
 目が、合う。
「……」
「……」
 二人とも、曲芸じみた動きをやめた。
 何となく視線を逸らす。
 書店前の歩道は狭い。
 かわさないと、このままではぶつかってしまう。
 どうせ浮遊しているのだから車道にも出られるし、あるいは上下に交差しても良いようなものではあったが、徒歩の時と同様に歩道右側へ身を寄せた。
 池田君も左端に水平移動する。
 沈黙のまま、行き違う。
 その時。
 僅かに、互いの右肩が接触した。
「あッ」
 ざぁっ、と視界が動いた。
 体が、後方へ引っ張られる。
 抵抗できない。
 見れば池田君も、物凄い早さでうしろに下がっていく。
 二人は一気に、もと来た道を引き戻されていった。

 アパートのベッドで目を覚ました早川君は、すぐさま池田君へ電話をかけると、出喰わした現場の居酒屋に呼び出した。
 しかし、席に着いても目が合わせられない二人。
 口ごもりながら烏賊の塩辛を捏ねくり回す。
 ちらちらと、互いの顔色を盗み見る。
「……まさか、お前もアレができるなんて」
「そりゃこっちの台詞だっつの」
 聞けば以前から、早川君同様に体を「抜けて」夜の散歩をしていたのだという。
 思わぬ同好の士の発見だった。
 どちらからともなく、この特技は秘密のままにしておこうという話になった。

 それぞれの経験をぽつりぽつりと語り合い、照れ笑いが打ち解けた談笑に変わり始めた頃。
 いつからか、池田君が右肩を押さえている。
「どうした?」
「いや、何だろう。ちょっと……」
 痛そうだ。
 早川君も少し前から、同じ位置に違和感を覚えていた。
 双方、Tシャツの袖口をまくり上げてみる。

 そこには、異様な青黒さの、巨大な痣。
 二人の顔から、血の気が引いた。

「……一緒に散歩するのは、やめた方がいいな」

by 幽体離脱接近遭遇 ¦ 17:07, Tuesday, Aug 29, 2006 ¦ 固定リンク ¦ 講評(4) ¦ 講評を書く ¦ トラックバック(2) ¦ 携帯

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