■その出自、その性格
「弩」怖い話は、著者・加藤一が参加する実話怪談集「超」怖い話の姉妹編と位置づけられる怪談集です。 「超」怖い話が体験談からギリギリまでムダを省き、欠損部分に対する読者の想像力をかき立てる「引き算の怪談」というスタイルを成立させているのに対して、「弩」怖い話は元の体験談に克明に肉付けをすることで生前の顔、怖さを復元し、読者の想像力を助ける「足し算の怪談」を目指しています。 怪談の原型、素材である体験談の処理・調理方法が異なりますが、投稿者によって明確に創作であるとされているものは除き、「体験」を扱うという点は姉妹編である「超」怖い話と同様です。つまりは、「体験談を怪談に昇華させる」に当たって、その表現方法について、「超」怖い話と異なるアプローチを考えるというのがひとつの大きなテーマになっています。
「超」怖い話における引き算の怪談というのは、安藤、樋口、平山諸氏の研鑽によって、ほぼ完成の域に達しつつあります。 もちろん、「超」怖い話に第1巻から関わり続けている加藤にとっても長年慣れ親しんだ技法でもありますし、「超」怖い話は今後もそのスタイルを極めていくのではないかと思います。 一方で、「体験談を怪談にする」という、怪談の表現方法は、それひとつだけではありません。世の中には多くの秀逸な「恐怖の再現方法」があります。稲川氏のそれや、木原・中山両氏による新耳袋のそれ、実話怪談とは異なりますが、京極氏、岩井氏など、怪談・ホラー小説の妙手によって多くの方法が試行確立されてきました。例えば、同じ体験者による体験談を異なる著者が書いたら、それらはそれぞれ違ったテイストの、別々の「怪談」として十分成立するのではないかと思います。 実話怪談は、「何が起きたか」を伝えることが何より重要です。そのために、「どのように表現するか」の部分については、多くのバリエーションが存在してもいいのではないでしょうか。
と、ここまでは「怪談の表現方法」の姿勢についての解説と、加藤の考える説になります。
■もうひとつの目的
「弩」怖い話のもうひとつの目的は、秀作ネット怪談(体験談)の蒐集と保存です。 「ただで見られるものを、有料の媒体にまとめて売るなんて馬鹿げてる!」という反論については、至極もっともだと思います。しかし、その一方で、今ここにあるデータが、これからもずっと見られる確証はどこにもありません。 インターネットの普及によって、体験者自身が自分の体験をそのまま発表できる土壌が生まれました。しかし、パソコン通信がインターネットに変わったとき、それ以前のデータをインターネットからは直接見ることができなかったように、またPC8801のデータをMac上からはオンラインを経由しては見ることができないのと同じように、ネットワーク技術の向上によって、現在のインターネットで培われたデータが、将来に渡って閲覧可能……という保証はどこにもありません。 また、大手匿名掲示板が何度となく閉鎖騒動に見舞われ、また同じような成立経緯を持ちながら、実際に閉鎖してしまったサイトがあるということも珍しいことではありません。有志によるミラーサイトが永続する保証があるとは言えず、それに依存するだけでは完璧とは言えません。ある日、久しぶりにリンクを辿ったら、無情な「404」の文字ですべてが水泡に帰していることが絶対にあり得ないとは、誰にも言えないのです。 CD-Rなどの電子媒体の中に各自が保存するという方法もありますが、秀作怪談を世に知らしめ、周知させつつ共有・保存していくという視点から言えば、やはりこの方法も十分とは言えません。
そこで、紙媒体(本、書籍)にそうした体験談、怪談を出自を明らかにした上で収録、保存していくという方向を、怪談を保存するために必要な、幾つかの方法のうちのひとつとして位置づけていくのがよいのではないかと考えています。 いわば、本/書籍を、紙でできたバックアップメディアと位置づけるというものです。本には文字以外に必要なプロトコルはありませんし、専用のブラウザソフトもネットワークへの接続も機械も電気も必要ありません。原始的かつアナログなようでいて、なかなかペーパーメディアがなくならないのは、この高い信頼性によるものです。 また、書籍にまとめることで、国会図書館への収蔵=恒久保存が可能にもなります。 僕自身、本の発行部数が実際のweb上のページviewを上回ることは難しいと思いますし、「同じ物ならネットでタダで見たほうがいい。金を出す必要はない」という考えには、賛同できる部分が大きいと考えています。 しかし、「紙束、書籍にそれをバックアップする」という、緊急避難のための保存方法も同時に存在していいと思うのです。この本を手にした方々が、泡のように消えてしまうかも知れない怪談の、保存者の一人となることを願いたいと思います。
この方向でのアプローチは、怪談というジャンルに限らず、すでに複数冊の良書が先行して始めています。 もちろん、それらの先行している企画のすべてが読者、投稿者、利用者各位からの広い支持を得ていると断言することはできませんが、「弩」怖い話はこうした果敢な試みに敬意を表すると同時に、単純収録ではない別のカタチ(怪談としての見せ方、原体験談、原体験者の権利の保証といった難しい問題も含めて)についても幅広く考え、ひとつのスタイルを提示していくための受け皿として、機能させていくことを考えています。 ベストを極めるには困難が続きますが、ベターを模索し続けることで、いつかベストに近付くことができればそれもよいのではないでしょうか。「弩」怖い話はゴールに立っているのではありません。まだ、そのためのスタート地点に立っているに過ぎないのです。
■「弩」怖い話の、次
「弩」怖い話は、こうした諸問題を解決していくための受け皿として、そのときそのときのベターな決断を受けて、その方法を体現し、継続していく場として意義あるものになればと思います。 その意味で、初巻の役目は 「匿名体験談/怪談の保存の必要性の訴え」 「匿名体験談/怪談の収録先としての「弩」怖い話への支持/賛同のお願い」 「匿名体験談/怪談の原体験者/投稿者の方々によるご協力のお申し出のお願い」 が、特に大きいところを占めています。
なによりまず、次に繋ぐ。 この理念に続く次のものが、再び「弩」怖い話であることを願ってはいますが、「弩」怖い話ではない別の何かが同じような理念を引き継ぐこともあるかもしれません。ただ、大局的に見るなら理念が引き継がれていくならそれを受け継ぐのが「弩」怖い話でなくても構わないとも思っています。 そのような長い目で、この新しい試みを新しいタイプの著者となる読者の皆様ご自身の手で育てていただければ、怪談の蒐集保存の一端を手がける者として、これに優る幸せはありません。
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