コラム
高田公太が、怪談作家になったわけ
2024/3/30
【高田公太】(たかだ こうた)
■プロフィール
青森県弘前市出身、在住。O型。実話怪談「恐怖箱」シリーズの執筆メンバーで、元・新聞記者。
2021~22年にかけて、Webで初の創作長編小説「愚狂人レポート」を連載した。
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■デビュー作、代表作、最新作
『恐怖箱 超-1 怪コレクション 黄昏の章』(2007年/竹書房)でデビュー
『恐怖箱 怪談恐山』(2016年/竹書房)で初単著
『絶怪』(2023年/竹書房)
『青森乃怪』、『怪の細道』、『奥羽怪談』、『煙鳥怪奇録シリーズ』など、東北の怪談蒐集に秀で、恐怖箱百物語シリーズ『百式』、『実話奇彩 怪談散華』などアンソロなどにも参加。
『青森怪談』(2024年/竹書房)は2024年5月発売。
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■差し支えなければ御本業は?
作家/ライター/イベンター/エッセイスト/詩人/たまにりんご作業員
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■怪談作家になったきっかけは?
超-1応募。上位ではなかったが、持ち前のセンスがキラリと光ってしまい加藤一に見出された。
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■超-1の思い出
その昔、わたしはミュージシャンになりたかった。
学生時にカジュアルないでたちのバンドの煌びやかな活動とDIY精神あふれるベッドルームテクノに触れていたので、自分もなれるものだと思い込んでいたのである。
なんとなく入った京都の大学にはまったく行かず、2回目の留年が確定しそうなタイミングで学費を出してくれていた親に黙って、退学届を出した。そこからは本当にふらふらしていた。このトラッシュな毎日はパンクっぽくて凄く格好良いんじゃないの、とぼんやり思っていたが、歳を取るにつれだんだんと辛くもなっていった。
そうして時はダラダラと流れ、うまいこと同棲させていただいてた方にフラれると、なんやかんやで青森の実家に舞い戻ることとなった。
まったく社会的ツブシが効かない人生だったので、地元の友人が務めていた庭先舗装専門の小さな建設会社に口利きで入社させてもらった。しかし、あっという間にひどいギックリ腰をやってしまい、実家でゴロゴロする以外は何もできなくなった。あまりにも腰が治らないし、以前からちょいちょい腰痛で仕事を休んでいたので、ゴロゴロしている間に会社はちょろりとクビに。かねて「ヘルニア」と医者に言われていたこともあり、わたしはすべてを納得した。そして、「ああ、自分はもう身体一つで金を稼ぐのは無理なのだ、参った参った。実家がそれなりに金持ちで良かった。もう実家に寄生してやろうか」と気持ちを切り替えたころの2007年、高田公太29歳の時分に第二回「超-1」が開催されたのである。
ギックリ腰で主に横になっていることしかできないわたしの慰めはPCと読書、DVDでの映画鑑賞であった。
メモリを増やして良い感じにゲームをやったりDVDを再生したり、インターネットで動画を見まくったり(主にモーニング娘。を見ていた)していると、一日が潰れる。我が家は自由放任主義なので、三十路間近の息子が子供部屋おじさん化していても、特に咎められることはなかった。完全に甘えた生活を謳歌していたわけである。ちなみに県外にいたころはちょいちょい路頭に迷っており、落ちているタバコを拾って吸ったり、公園や映画館で寝泊まりしていた。懐かしい。
「超-1」に応募をする気になったのは高校時代から「『超』怖い話」(竹書房刊)を愛読していたことと、何よりも寝たきり生活で暇を持て余していたからである。ものは試しと応募をした自分には、絶対にデビューしてやるという決意もなく、ごくごく軽薄なインターネットのノリに乗っかっている程度の心構えであった。幸い幼少期からホラー、オカルト、怪談の類は大好きで、人から聞いた「実話怪談」執筆のタネもたくさんあった。
何作か応募するに当たって、手元にある怪談本をまるで研究するように読んだ覚えがある。
練習のために平山夢明さんの執筆したものを、そのまままるっとタイピングして、何を書いているか、何を書いていないかを確認した。
だんだんと「それっぽさ」を掴んだころ、ふと冒険したくなり、別に損することもないだろうと、実話怪談の構文から外れた変な書き方を試したりもしたが、それらは概ね点数が低かった。
結果的に上位に入ることはできなかったが、わたしについて「文章の手練れが文体実験をしているのではないか」という旨が書かれた講評があり、とても嬉しかった。こうやって実家で落ちぶれていても、本来の自分はまだまだ面白いはずだと思い込んでいたので、この講評にとても救われた気がしたのである。
第二回「超-1」傑作選の「黄昏の章」に応募した一作が載ることになり、初めて印税を貰った。
たった三ページ分の収入であったが、タバコ代すら母からせびっていた身としては誇らしかった。
若かりしころから読書家の母は、噛み締めるようにわたしが書いた文章が全国流通の書籍に掲載されたことを喜んでいた。
気を良くしたわたしは2008年の第三回にも応募し、またも上位ではなかったがヌルリと竹書房からオファーを頂けるようになった。
そして今に至るわけである。
超-1出身の作家たちは大会を振り返り、「大変だった」「鍛えられた」と言うが、わたしの場合はリアルタイムの実生活がとんでもなかったため、大会自体がどうだったかの記憶が薄くなっている。
あのころは……と思い出すと、どうしてもモーニング娘。の道重さゆみさんのラジオ「今夜はうさちゃんピース」や、新垣里沙さんと亀井絵里さんのラジオ「GAKI・KAME」を熱心に聴いていた自分が浮かぶ。何かになりたくても何にもなれなかった29歳の心の隙間は大きかった。そこに入ってきてくれたのはアイドル、文学、映画、怪談であった。
人生の転機はどこに転がっているかわからない。
暇だったから、わたしは作家になれた。
夢に敗れたから、わたしは作家になれた。
今思えば、「怪談」という星座を作る一つの星になるためにわたしは人生を歩み、泣き、笑っていたのであろう。
あなたもこの星座に加わらないか。
「超-1」はあなたの人生を肯定する。
さあ、冴えない日々にサラバを告げようじゃないか!
立ち上がれ!
怪談の星たちよ!
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■どんな怪談が好き?
珍しくなくてもいいから「人の何か」を感じさせる話。
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■自分の作風を自己評価すると?
異彩を放ちすぎて時代に置いてけぼり。
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■怪談界でライバルを挙げるとしたら
太宰治。
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■最近、注目している怪談作家
鈴木捧(異彩を放ちすぎて時代に置いてけぼり)。
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■新人、若手に一言
ブームの追い風があるうちが華だと思いますので、謙虚さを忘れずになるべく人から嫌われないようにしたいです。怪談以前に人として大事なことを忘れないよう努力します。
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