最終戦績表+著者推薦結果


2008年大会の最終戦績表+著者推薦結果を発表します。

この戦績表では、エントリーblog上で「コメント講評」または「blogからのトラックバック講評」を個別識別名を持って行った講評者名を、ランカー名(ペンネーム)と同一表にまとめてあります。
表記が若干異なるものの、接続元情報などから同一人物と見なされるものについては統合してあります。

まず、最終戦績表からご覧下さい。

 

 あなたが成長を期待する候補は何番?

    例年そうなんですが、成長を期待する=応援したい、という候補は必ずしも「現時点での1位」に当てはまるものではないようです。
    後一歩、もう少し何かがあればさらに上を目指せるのでは、といった意味で注目されているのは、右のような候補でした。

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 ザ・ベスト作品

    上位に名前が上がった作品群は、いずれも比較的寡作な著者によるものが多かったようです。

    ザ・ベストの上位10作の中に、多数投稿のランキング2(へみ)、3位(山際さみき)の作品は一作ずつしかなく、唯一、ランキング12位(怪聞亭)が2作ランクインしています。

     

 

 

 強く印象に残った作品

    強く印象に残った作品は、「良い意味で」「悪い意味で」を特に分けていません。
    良い意味であろうと悪い意味であろうと、読者の記憶に強く刻まれた、インパクトがあったということを意味しています。1位の「山姥の夜」は、良い意味での投票が多かった作品ですが、中には「インパクトはあったが……」という形で意見が割れたものもあったようです。
    万人受けする恐怖というのは非常に難しいものですが、このように怪異の好きずきは千差万別であるということが浮き彫りになった結果とも言えます。

    常連の一般読者審査員の他に、応募者の相互審査が大きなウェイトを占める超-1では、このように応募者自身の考え方によって、審査の基準が大きく変動していくため、審査員の好みに合わせて書く、というような「傾向と対策」が立てにくいということがわかります。

 怪コレに絶対に入れるべき作品

    ここでも意見が割れてきます。ザ・ベストでは1位だった「女伝え」を押さえて、ザ・ベストでは6位に位置する「名残」が急浮上しています。
    というより、「女伝え」を3つのうちのひとつに挙げる人は多かったものの、ひとつだけ挙げろ、という候補の中には入ってこなかった、ということかもしれません。
    今回は推奨者はあまり多いわけではないのですが、ここではかなり好みの傾向がわかれました。

     

 

 ザ・ベスト講評者

    超-1/2006から3年連続で講評を任じられている超-1講評blog「幽鬼の源から(酩酊/DPT)」への信頼は今年も大きかったようで、2位以下を大きく引き離してザ・ベスト講評者の地位を獲得しました。
    コメント講評者「くりちゃん」「chidori」に続く講評者の方々のうち、やはり言葉を尽くして論じている方、コンプリートしている方への信任が厚いと言えます。

    ザ・ワースト講評者は例年通り公開しませんが、「気分のばらつきで評価の基準そのものが変わる」「投げやり」「実話怪談を楽しんでいない/疑ってばかりの講評者」などに対する厳しい批判がありました。

     

 

来年も超-1をやるとしたら

    デビューを目指す皆様におかれましては、たびたび紹介しているジオン公国・ドズル中将の言葉を引用させていただきたいかと思います。
    「戦いは数だよ、アニキ!」

    もちろん、怪コレ狙いもしくは「結果はともかくとしても、参加することに意義がある」「今年のいちばんをひとつだけ」といった参加、講評コンプリートなどなど、実話怪談の祭典としてお楽しみいただければ幸いです。

    来年もありますのでよろしく。

     

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今年の怪コレについて

    今秋にも怪コレクションを刊行予定です。是非ともお買い上げ下さいませ。

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どのくらいの長さの話が好み?

    今年の審査員は、中くらいの話に好みが集中したようで、短すぎる話や長めの話に対する人気はあまり多くなかったようです。

     

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好みのジャンルは?

    やはり、実話怪談の華であるところの「祟り・呪い・因果系」の人気を渇望する声が最大でしたが、それとほぼ同数で「心霊落語(笑える怪談)」への希求が大きくなってきていました。
    「怖い話なのに、どこか笑わずにいられない」
    という分野は「超」怖い話などでも人気を博していますが、恐怖と笑いは紙一重で、そのどちらもが求められているということなのかもしれません。

    その他のジャンルでは、このようなものがありました。

  • 意味無く問答無用に不条理なものも結構好み。
  • 下ネタ系
  • 基本的に妖怪・不思議系が好きですが、怪異から「人間」が浮かび上がってくるような話も好きです。
  • 泣ける怖い話
  • 泣ける話とまではいかなくとも、怖い上に心を打たれる話には魅力を感じます。
  • 職業固有、特有の怪談
  • 心霊・幽霊譚全般
  • 心霊ちょっといい話・感動話
  • 東京伝説系以外ならなんでもこいです!(リアルな怖さは一人暮らしできなくなりますから!)
  • 泣ける/感動系は確かに選択肢には入っていなかったかも。来年の読者推奨アンケートの候補に入れたいと思います。
    下ネタ怪談の経験者(加藤)として言わせていただければ、下ネタ怪談は両刃の剣です(´Д`)ノ
    普段怪談に興味を持たない人を怪談のフィールドに連れてくる入門話としては非常にウケがいいんですが、怪談の元々のコアなファン層である女性読者の信頼を失いますのでorz

     

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文章以外の実話怪談表現について認めるべき?

    この質問は昨年から続いてさせていただいているのですが、「文章以外の表現もありだが、文章とは部門分けするべき」という意見が多数を占めています。

    別部門化については、今後の検討課題になりそうです。

     

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文章以外の実話怪談表現について、
どんなものを見てみたい?

    また、文章以外の実話怪談表現――と言われて真っ先に思いつくものは、やはり漫画が多いようです。
    音声・朗読・ラジオドラマ的なもの(演出を伴うもの)の形を採った実話怪談というのは、これはこれで見てみたいなとも思います。

    先々、応募方法などを含めて検討してみたいと思います。

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候補を推薦する

候補を予想する

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候補の推薦(自分が推したい候補)と、予想(他の人が推しているだろうと思われる候補)を並べてみました。
28=山際みさき、11=へみ、16=黒ムク、14=怪聞亭なのですが、個人的な推奨では二強の山際みさき、怪聞亭は、「他の人の予想」では大きく変動し、個人的推奨では3位の11=へみが、予想では1位に躍り出ています。
実際の今年のランキングは、様々な要素を検討した結果、予想値により近い形となったわけですが、「好みと大勢」に大きな隔たりが出ると同時に、推奨者各位の予想は概ね的中した形になりました。

 

 

超-1のご感想、ご要望は?

 

 

今年のまとめとして、様々なご意見・ご感想を頂戴しました。
個人情報に関わる問いその他以外、現時点で答えられる範囲で、主催者見解・解説・お答えなどについて、主催者・加藤一からの返答を右枠に並記させていただきました。


 費用の問題でシステムの改善が絶望的なら、せめてルールの改善を、やはり本にするのを前提にした投稿作品なんだから電脳文章まで認めるというのは、応募者を甘えさせすぎだと思う。ただしサイトのみで発表するというなら話は別です。それなら文句はありません。

 

 

どうしても費用の壁というのは越えがたいもので、技術的には可能でもコスト的に不可能、というものあります。その上で、対応できるものについては改善を施していく予定でおります。
例えば、会期中にしばしばご指摘のあったコメント書き込み前に他の講評者のコメントが読めてしまうという問題につきましては、コメント書き込み位置を講評より先に表示するよう、次回開催大会からCGIを改良しました。

なお、超-1では応募作品が「本になる」のは、Web上での公開が終了した後に検討する、ということになっています。あくまで、第一義は「Web上での閲覧」にありますので、Web上で読みやすいかどうかというのが、Webで原稿を読む読者のための配慮として求められます。Web上で閲覧されることを前提に、Web読者向けに書かれるものと、そこでの閲覧公開を経て書籍用に公開されるものは、書式ルールが異なるのも仕方ないと思います。
例えば、「セリフ」とト書きの間に行間アキを入れるといったWeb上での読ませやすい工夫は、書籍では修正が施されますが、書籍のルール通りではぎっしり詰まってしまってWeb上では却って読みにくくなってしまいます。
その意味で、ルールは適材適所であるべきで、まずサイトで公開、サイトで閲覧というのが最優先となっている超-1では、作品発表+作品公開の時点では、行頭アキなどの文法上の見栄え(=電脳文章とご指摘いただいたもの)については、その作品内で統一さえされていれば問題ない、という立場を取りたいと思います。

文章の見栄えを整理するのは応募者(=作家)ではなく編集者の仕事ですが、編集者としては「横組みで読むWebの文章は、英文の表記ルール(行頭を空けない)に準じ、縦組みで読む日本語の文章は、日本語縦書き表記ルール(行頭を空けず、行間も無闇に空けない)に従う」という判断を下しています。

 


本来、門戸が広いはずの大会だと思うのですが、実際に集まる作品は年ごとに良くも悪くもきれいに纏まってきてしまっている気がします。
初心者から熟練者までもっと気楽に楽しめる大会になったらいいなあと思うのですが。

 

 

よく言えば洗練され、大きな冒険をする人が減ったということかもしれません。(総評参照)

また、初心者の作品か、上を目指す人の作品かが見分けが付かないということと、初心者の作品も含めて「上にはやすやすとは行かせないぞ!」という厳しさで見ること、そう見られることへの怯えから、ますます信用されにくい体験談そのものが、ネタとして選ばれなくなってきているのかもしれません。

不条理、かつ突飛な、信用されにくい体験談であったとしても、それが体験者の訴えであるなら溢さず拾っていきたい、世に出していきたいとも思うのですが、難しい問題です。

初心者の心理的ハードルを下げるため、「後で主催者が書き下ろすネタのみの部門」の設置を考えるとか、したほうが良いのかもしれません(^^;)

 


大会の流れが全体的に滑らかな運びとなって頂けた事が我が事のようにうれしく思っております。
こうした流れの上に、第一回のお祭り風味が加わってくれれば、また一段と盛り上がった趣向の公募となる事でしょう。
超-1の更なる進化を期待します。そのときはまた、新ネタをひっさげて参戦する事になろうかとも思っております。

 

 

さすがに3回目ともなると、すべきこと、省くことの取捨選択が進むようになってきました。これというのも、3回も開催させていただけるほど多くのご応募を頂戴できたという事実がなければ成し得なかったことと思っています。

3回目は概ね2回目のノウハウを踏襲する形となっているのですが、それでもまだ合理化できそうなところや、工夫が必要なところなども目に付くようになってきました。
来年の第4回に向けて、そうした一層の滑らかな運営ができるよう、心がけたいと思います。

 


「顛末」なんですが、何で参考出品になったんでしょうか?
超1ルールに抵触する所があった様には思えなかったのですが。
何だか残念です。

 

 

超-1のルールには「独立してひとつの話として読めること、それを理解するのに他の話を必須の前提にしないこと(連作禁止)」というのがあります。
独立して成立していて、他の話を必須の前提にしていなければ、結果的に連作になってもかまわないという緩いルールではあるのですが、「顛末」の場合は、確実に他の発表済みの他の話を前提とした「続編」となってしまっていたため、ご相談の末、参考作品となりました。

 


今回は事前にルールを完全把握しないまま、エントリーしてしまいました。
次回もあるのなら、キチンと把握して臨みたい。
その日のために書きためておきます。

 

 

超-1のルールはあまり多くないのですが、解説に紙数を割いているため複雑に見えてしまうところがあったのは否めません。
来年はルールの整理というか、もっとルールをわかりやすく説明できるよう心がけたいと思います。

基本は

  • 「実話であること」
  • 「連作禁止(上述参照)」
  • 「長さ・本数制限なし」
  • 「作品は匿名公開」
  • 「自作を含めた全ての応募作を講評すること」

となります。
その他のルールは、決まりを守れなかったときのペナルティの説明と補足に費やされていますので、上の基本ルールではピンとこないことがあったときに補足としてルールを確認してみてください。
補足として書かれていないことは質問していただければ、その都度ルールを改定する形で補完させていただきます(その結果、ルールの補足が膨大になってしまった、というのがこれまでの流れですorz)。

 


とても楽しい経験ができました。
これまでは、漠然と書きたいと思っていただけでしたが、超-1開催を切っ掛けに本気で取材し、本気で書きました。お陰で実話怪談執筆の楽しさと難しさを身をもって知りました。
超-1を通して本当に多くの素晴らしいものを手にすることが出来ました。
どうもありがとうございました。
超-1が終わった今でも、取材は続けており、着々とネタは増え続けております。
今後も文章に磨きを掛け、怪談力を伸ばしていきます。

最後に、要望も書いて良いということなんで思い切って書かせていただきますと、是非単著を書く機会を頂きたい。
怪談をライフワークとし、多くの人と出会って怪談を集め、それらを作品化していきたいと強く思います。
よろしくお願いします。

ところで超-1ですが、これだけの話と執筆者がいるのですから、怪談ライブイベントなども開催してはどうでしょう?
楽しいものになると思います。

 

 

書くことで、漫然と聞き流していた話の中の非常に重要なことに気付いたり、また話すべき意義が閃いたりといったこともあるようです。
そして、それを発表し、さらには読んで感想(講評)を得ることは、楽しいばかりではなく辛いこともあったかもしれませんが、脳内で完結させず「他の誰かに伝える」ということが、文章に起こすことの第一義であるように思います。体験者の方の訴えたいことを形にして他の誰かに伝達するということの難しさは、しかし同時に楽しさでもあります。

怪談というのは不思議なもので、取材を始めるとやたらにネタが増えていったりもします。怪が怪を呼ぶという状態をご体験なさっているのではないかと思われますが、怪に絡め取られることなく、ご無事に過ごされることをお祈りします。

単著を書く機会についてですが、これは今後の作品の執筆分量とそして超-1で揉まれ鍛えられること(精神的なタフさと言いますか(^^;))と、そして機が熟すまでの間、書いて書いて書き続けることで成し得るものと思います。
依頼があってから書くという作家がいる反面、依頼の有無以前に「書かねばいられないから書く」という作家がいます。
肩書きとしての作家を名乗ることは誰にでもできますし、「作家になる」ことそのものは大して難しいことではありません。むしろ「作家で居続ける」ことが難しいのだと思います。作品を書かない作家は作家ではありません。「作家だった人」です。
怪談の単著を出すことをゴールと考えず、「出し続けたい」と考え、書き続けられる人が、作家と称されるのではないか、とも思います。

数なのです。やはり。

超-1が、そうした「数」について、「良いものだけを選んで出す」ことよりも、「何もかもを出す」ことを強く期待し、また出品本数に制限を設けていない(結果的に数を出せる人が上位になる)のは、「出し続けたい、出さねばならない」という需要を満たすためでもあります。溢れるばかりの(物理的に)作品数、作品規模、作品品質を楽しみにしています。

ところで怪談ライブイベントは今のところ確定したものはありませんが、有志によるオフ会は不定期に行われているようです。主催者開催のオフィシャルなものではありませんが、そうした試みについてオフィシャルな機会が在ればご紹介させていただきたいと思います。

 


来年もありますよう。

 

 

ありますよう!

 


今回初めて見ました。読者だけで講評も投稿もしてませんが楽しかったです。皆さんの講評も人それぞれで驚いたり関心したりと・・・

来年も楽しみにしています。

 

 

初閲覧ありがとうございました。
もちろん、超-1は書く人、講評する人だけでなく「読むだけの人」によっても成立しているのは間違いありません。
全てに講評を書くのは大変かもしれませんが、来年はもしよろしければ気に入ったものにだけ、気になったものだけでも構いませんので、一筆、ご意見をお聞かせいただければ、応募者各位の勉強や励みにもなるかと思います。

もちろん、タダで読める実話怪談群wとして、ご堪能いただくことが満たされるなら、それに越したことはありません。
また来年もお待ちしています。

 


今年も300を超える怪談が連日のように世に放たれ、読むほうが追いつかないという嬉しい状況でした。投稿させていただいたのは今年が初めてでしたが、投稿期間&講評期間が仕事環境の激変期と重なってしまい、共に〆切ぎりぎりに滑り込まざるを得なかった事が内心忸怩です。しかし期間については、今年のように2ヶ月+1ヶ月というのは理想的だと思います。出来れば開催告知がもっと早ければ嬉しかったかもですが。

 

 

超-1は一度始まると誰もが狂乱状態になってしまうという、いろいろな意味で恐ろしいイベントなのですが、おそらく次回も2ヵ月の募集期間+1ヵ月の講評期間、というサイクルになっていくかと思います。

開催告知については例年、ぎりぎりまで開催が確定しないという事情から、「告知と同時に開催」の形を採らざるを得なかったのですが、3回、3年連続の開催を経て、ようやく「来年もやるよ」と今年のうちから告知できるようになりました。

そういったわけで、来年も開催です。
基本的なレギュレーション/ルールは2008年と大きくは変わりません。
実話であること、匿名公開、相互講評、これが超-1の決まりです。

是非、今年のうちからじっくりと取材&原稿の書きためを進めていって、来年に備えていただければと思います。

主催者が謎の急死を遂げるとか、主催社に激変といった不慮の事態が起こらないことをお祈り下さい。

 


今回の大会も無事に終了し、皆様本当にお疲れ様でした。祭りが終わった日々をひしひしと感じている今日この頃です。次回の大会で望む所は、やはり採点方式の徹底かと。個人の趣味は多々あれどもルールにのっとった採点をしていただけるような環境作りをお願いします。

 

 

採点方式についてですが、採点の指針になるようなものをある程度挙げておくなどを検討中です。
現行の+4〜−4ののべ9段階の配点方式についての見直しも念頭に置いて考えたいと思っていますが、+1/0/−1の3段階にまで圧縮してしまうと、0.5点など「中間点」の扱いの個人差から、正確さが失われるのでは、という懸念もあり難しいところです。

既存の補足説明では、

  • ネタの善し悪し(ネタの稀覯度)(+2〜-2)
  • 文章力(+2〜-2)

の2点を重点的に評価するように促されているのですが、この点について採点時に注意を促すようにしたいと思います。

 


今回は全てリライトされたせんべい猫さんには特別賞を(^^
それと来年こそは15話出します。ええ。

 

 

賞は出ませんが(^^;)、最大限の賛辞は贈りたいと思います。
そして、それをすることで、誰かが「与える」以上の何かを、せんべい猫さんは得ているものと思います。副作用としての乱視も含めて。

持って生まれた才能とか、努力せずにできてしまう才能とかではなく、努力することでしか得られないものというのは、確かにあるということを、噛みしめておられるのはおそらくご当人でしょう。

 


大会開始に気がつかなかったです。できたら前回参加者にメールでも送ってもらえたら・・。

 

 

誠に申し訳ありませんでした。
前回参加者が「超」怖い話お知らせメール(週刊超-1)に登録されていれば、週刊超-1特別版の形で開催告知が配信されていたはずなのですが……。

週刊超-1/「超」怖い話お知らせメールの受信者登録は、現在は配信希望者各位の自主的な登録にお任せする形になっています。大変申し訳ありませんが、次回に備えてご登録をお願いできればと思います。

登録済みなのにメールがこなかった場合、週刊超-1配信元メールアドレスが、迷惑メールとして排除されている可能性があります。@chokowa.comからのメール配信を迷惑メールフォルダから外して、受信できるようにしておいていただければ助かります。

 


本当にお疲れ様でした^^
来年もやりましょうよ!!!

 

 

やりますとも!

 


自分の作品が思ったより高評価で嬉しかった。

 

 

おめでとうございます!
自分が書いたものを他の誰かに読ませるのには勇気が要ります。辛辣な評価を得ることもありますが、思っていたよりきちんと「通じている」ことを確認することもできます。
文章を書くのは誰かに伝えるためであるということを心に留めて、より一層の御奮進をお祈りします。

 


今回の感想ですが、なかなか凄い作品が幾つもあって、怪談好きとしては今後が楽しみな(恐ろしい?)書き手が出てきたと思っています。「蛇苺」のように超-1ランカーの活躍の場がますます広がっていくことを期待しております。

 

 

寡作な著者の中に怪物が潜んでいたな、という意味では同感です。
後は、一冊の本にできるほど多くの怪談を、安定した数と出来を揃えられるかどうか、というのが次のステップになるのではと思っています。

蛇苺など恐怖箱シリーズのランカー陣は、質と量の両立に成功している方々が選ばれているわけですが、質はok、あとは数、というところに帰結するなあ、というのが今大会の率直な感想でした。

 


初参加で勝手が解らず困惑することもありましたが、非常に楽しかったです。
来年も是非、開催していただけますよう、お願い致します。

 

 

初参加、ありがとうございました。
楽しかった、というその一言で全ての労苦が報われる思いです。全ての応募者、参加者の皆様を代表して、お礼させていただきます。

また来年もお待ちしています。

 


候補の予想に11番さんを挙げたものの、正直、今年も覇者と呼べる方はいなかったと思っています。
でないと、昨年の藪蔵人氏はなんだったのかと。11番さんも、藪氏を超えているとは思えません(´・ω・`)

 

 

少なくとも2007年の藪蔵人氏を越え、2006年のロールシャッハ(松村進吉)、高山大豆(久田樹生)に、量と質の双方で迫るものでないと、1位は難しいのではないか、というのが実行委員会の見解でした。
超-1の1位は、怪物のために用意された席である、と。

秀でた人間をさらに越えた怪物であれという条件を満たすのは、やはり難しいようです。
そんな怪物が二人も出た2006年が、如何に怪談的に豊饒な年であったかということでしょうか。

 


今年もお世話になり、ありがとうございました。怪談好きの人たちの刺激にもなり、今後の怪談界の向上につながると思います。毎回参加させていただいて、本当に色々と勉強になり楽しいです。来年も是非開催してください。

 

 

実話怪談を書こうとなさる方がさらに増え、本人すら自分の中の才に気付いていないか過小評価してきたような人が、突然掘り出されたりしたら素晴らしいと思います。
そのための超-1であり続け、より多くの、ひとつでも多くの実話怪談を深い世間の闇から引きあげて、世に刻むお役に立てれば超-1主催者としてこれ以上の幸せはありません。

 


きつい2ヶ月間でしたが、充実して楽しかったです。
文章を書く楽しみ苦しみを味わえました。
講評者の中には数名、性格が腐敗してしまっている人もいましたが、自作品を講評してもらえるいい機会にもなりました。
運営の皆様は大変だったと思います。
多数の参加者、講評者も含めて、お疲れ様でした。

 

 

冬から春にかけて、旧暦の新年あたりからの濃密な時期を、怪談著者にとっての啓蟄に当てていただけたなら幸いです。産みの苦しみといいますか、楽しみと苦しみは同時に存在するもののようです。

よく、子供は親を選べない、生徒は教師を選べない(小学校では)と言いますが、同様に著者は読者を選ぶことはできません。厭なら読むな、おまえは読むな、と禁止することもできないわけで、積極的に理解しようという意志がない人、頑なな人、怪談が嫌いな人、実話怪談を疑っている人など、様々なスタンスの読者がいらっしゃいます。

そうした人々からすら理解を引き出し、主張すべきことを主張した上で共感を得るためにはどうしたらいいのか。著者にとって心地よく物わかりのいい読者にだけ向けて書ければそれは楽なのかもしれませんが、「わかってもらえない人にわかってもらう」のが、文章を書く、引いては「何かを伝える」ということの原点であるように思います。
そういう手ぐすねを引いている批判的ありきの読者にすらも「伝えきれる」著者であるために、様々な読者の様々な反応に触れる機会が必要です。
超-1が、そうした機会を提供でき、著者の成長に僅かながらも寄与できていれば最高です。

 


 短いながらも濃い三ヶ月でした。
 ようやく私もおひねりの意味が分ってきました。減るもんじゃ無し、来年も大盤振る舞いしますんで、楽しませてください。

 

 

講評は元手がさほど掛からないおひねりです。
どうぞ大盤振る舞いをお願いします。
詳細に書けずとも、点数と一声を頂戴できるだけでも、応募者の励みになると思います。

来年も楽しんでいただきます。

 


毎日業者との仁義なき戦いを繰り広げた運営各位、ならびに著者と講評者の皆様、大変お疲れ様でした。
2010年こそは良ネタを仕入れられるように精進いたします。またお会いしましょう。

 

 

2010年の前に、2009年大会があります(笑)
再来年のことはわかりませんが、少なくとも来年、2009年大会の開催は確定しましたので、二年に一度と言わずご参加いただけることを心待ちにしています。

 


今年から参加させて戴きましたが、大変勉強になりました。
来年も頑張ります。
ありがとうございました。

 

 

初参加、ありがとうございました。
書いたものを人に読ませる、読ませた相手から感想を引き出すというのは、日常では得られるようでいて案外得られないものです。Amazonのブックレビューすら、一個も付かない新刊も多数ありますorz

講評から得られたものは安易な褒め言葉ばかりではなかったかもしれませんが、それらのひとつひとつが血肉になっていけばと思います。

 


好きな投稿者ランキング:11->24->14
「山姥の夜」については良い意味でのインパクトです。民話の実在性がこの話のキモだと思うのですが、そう読み取ってもらえていなかったのが気の毒に思いました。

また、連作NGの枷について多少疑問があります。
畳みかけることで相乗効果の出る話もあり、個人的にはそういう話も読んでみたいと思います。
超-1には話の発掘という側面もあると思いますので、何らかの形で連作への門戸を開いて頂けると嬉しいです。

余談ですが、編集部見学や加藤さん他皆様へのネタ取材はアリでしょうか?(^^;
可能でしたら本気で行きたいのですが。

 

 

受け取り方というのは、本当に読者によって様々だなということかもしれません。
誰が読んでも同じように受け取って貰えるように書くということ=万人受けへのにじり寄りだと思うのですが、それだけに万人に分かって貰える怪談の「書き記し方」の難しさが際だったということでしょう。

連作禁止の枷についてですが、超-1は順番に読んで貰えるとは限りません。
新着公開の過ぎた作品は50音順のリストに格納されますが、会期の途中から読み始めた人、一週間分をまとめて読む人などは、どうしても発表順ばかりではなく、「50音順」で読み進める、目に付いたタイトルから適当に読み進めるなどになります。

怪談は原則としてそれひとつで完結しているものであることが望ましく、前提とする知識の有無に作品の価値が左右されないものであるべきだ、と考えています。
一方でご指摘のように、畳み掛けることで相乗効果を得られるものがあるのは確かです。拙書「弩」怖い話2 Home Sweet Homeの「新婚の家」や、久田樹生著「超」怖い話 怪歴収載の「果報」などが、そうした例であるように思いますが、こうした「あったること」を畳み掛けることで恐怖感が増幅するような話の場合、やはり「順番に読んで貰う」ことを読者に強いることになります。
超-1の「どこからでも読める、どこから読まれるか決めることができない」というWeb掲載の形である限り、この問題の解決は難しいかもしれません。

ただし、これらの連作となりうる話を細かく分割せず、少々長くなっても「1個の話」として出す分には、その発表回の中で成り立つ連作、という形なら、超-1の連作禁止ルールにも掛からずに発表が可能ではないかと思っています。
発表時に、「同じ体験者/体験場所に関わる、同じ体験者であることに意味がある話」などについては、分割せずにひとつの長めの話として扱う、というようにしていただいたほうがいいかもしれません。

さて編集部見学&ネタ取材ですが、現在、恐怖箱班/「超」怖い話班の担当編集さん及び超-1実行委員会は編集部に常駐しておりません。このため、編集部見学には対応しかねます。本当に申し訳ありません。
ネタ取材は、こちらから出かけて「さあ、ネタを言えい!」くらいの逆襲がアリでしたら検討してみたいと思います。

 


 超-1の上位ランカー陣がいないだけで、随分と寂しい印象がありました。
 おっ、と思わせる作品は幾つかありましたが、どうしても散発的で活気に欠ける様に感が。

 携帯からの参戦でしたが、今回は投稿もしやすく、ハードルが下がったようで嬉しく思いました。
 来年もあれば、もっと多くの人が参加して欲しいですね。
 では、お疲れ様でした。

 

 

今回は過去の超-1上位ランカー陣が選抜という形で超-1と並行して進められていた恐怖箱に参加しているのですが、選抜されたランカー陣は「質も量も」という過去の超-1の主力群でもあったため、今年の超-1の応募数その他についての心配は少しだけしていました。
散発的な印象が強かったのは、そうした質と量の双方を兼ね備えていた手練の不在も確かにあったかもしれません。つまりそれだけ、質と量の双方を備えることは難しく、またそれを備えていれば心強い、名前を伏せていても大会全体に強い印象を与えるものだということを思い知らされたようにも思います。

しかしながら、量は及ばなくとも一品に精魂傾けた一品ものの秀作が得られたこと、上位ランカー陣が不在であっても初参加の方による新陳代謝を含めて、これだけの規模の作品応募があったことなど、来年が楽しみに思えています。

昨年に加え、今大会でも携帯からの参加者向けの環境整備を一層押し進めています。結果発表など、テキストが膨大なものについてはまだまだ読みにくい部分も残っているかもしれませんが、機器の進化と足並みを揃えつつ、「文章を携帯で読む」という層に向けたアピールをしていきたいと考えています。

大変お疲れ様でした。

 


【講評について】ブログや2chのように他の講評者に対して批判めいた意見が出た事もあるので、作品のみの講評に集中していただくように何らかのガイドラインが必要と感じます。

【リライト】怪異とオチは改変しない、だけでは処理に困るので、今後リライト許可があるのなら実例を挙げるなどして詳細を示した方が良いのではと思いました。せんべい猫氏のブログに内容に関する不快な書き込みがされていたり、またじぇいむ氏もリライトについての意見をブログで書かれているのを見て、リライトについてはもっと多くの情報が必要と感じました。(今後リライトが継続されるのなら、ですが・・・)

【超-1について】実話怪談の新人作家はここから出るという趣向はこれからも続けていってほしいと思います。

 

 

【講評について】
個々の講評者の、講評に対する姿勢や考え方は、個々の読者ごとにいろいろあっても仕方ないと考えています(上述、著者は読者を選べないの項)。
ただ、他の作者の方の講評の中に、別の作品への批判や主催者の不備への批判を織り交ぜて、作品への配点としてしまっていた方があったことについては、残念であると思っています。

講評の姿勢、方針、主催者への不満などについてご意見を述べていただく場としては、掲示板などその他の機会をご活用いただけるよう提供させていただいてきましたが、そちらへの誘導がうまく行っていなかった面もあるかもしれません。

次回は個々の作品講評コメント/blogではそれに専念していただきつつ、講評の姿勢、方針、主催者への不満などについては別途ご意見をいただける機会を充実させ、そちらの活用を促すようお知らせしていきたいと思います。

【リライトについて】
リライトは、「ネタはないけど怪談を書きたい」という方々のための自主トレの機会であると同時に、「既にあるものについて、改めて筆を執りたいと思わせた=誰かに伝えたいという他人の衝動を突き動かした」ということを評価するためのもの、と意義付けています。
元ネタ(原典となる元の話)へのリンクと、その話から派生したものであるということを明示した上で、聞いた話をどのように「次の人に伝えるか?」というリレーについては、書きたい伝えたいという衝動に突き動かされた人に、ある程度任せてしまってもよいだろう、と考えています。元ネタへのリンクと派生元が存在することを明示することで、リライト作品は常に「元の話」との比較が可能な立場に置かれることになります。

それ以後の、リライトを何のための、どういった目的の、どういった趣向のものとして位置づけるか、意味づけるかについては、個々が考えていく、そういう発展途上にあるものではないかとも思っています。
その意味で、「こう書くのが正しい」というリライトの方法論の実例を示す段階にはないのかもしれません。試行錯誤の段階にあっては、意見の衝突や懸念、反対論があることも避けることはできませんが、そこに意義が見いだされ、それに共感していく人が生まれていくかどうかで、今後リライトが必要か不要かが定まっていくようにも思います。

怪談とは語り継ぐもので、聞いた話を次の誰かに話すことで成立するものであるようにも思います。読んだ話を暗記して暗唱するのではない限り、どのように伝えるか、どう伝えたら元の話の必要な部分を損なわずに伝えられるのか、そういった技術論を考えるためのトレーニング方法のひとつとして、リライトをお考えいただければと思っています。

【超-1について】
ありがとうございます。
実話怪談を募集・公募して一冊にするという公募本はこれまでにも類例が多く、今後も類書が増えていくと思いますが、新人実話怪談作家に絞って、その発掘と選出を目指していく試みについては、残念ながら類例があまりないようです。将来、超-1を追い抜くほどの類似企画が世にうなるほど出てくるようになって、超-1継続の意義が薄れるようになる日まで、実話怪談作家という宝玉を掘り続ける鉱山として、超-1はあり続けたいと願っています。

 


著者推薦では数値をふまえて16さんを推薦しましたが、私の気に入った作品は寡作の方が書かれた作品の方が多いのです。寡作の方は一作一作に精魂こめて書かれているということでしょうか?
「男と女」の不条理さ、「家」「箱」の不気味さ、「エアバイク」の一発芸、「スイスイと」の可愛らしさ、民俗的な「八百万」、トリのお化けの「フラミンゴ」等が特に好きです。
これは多作の方の作品を悪くいうのではありません。

また続編が選外になりましたが「家」を書かれた方、「駆け込み訴え」のようで臨場感があって高く評価しましたが、現実にお悩みとのことで早く解決の糸口が出来ますようにとお祈りします。

28さんはいちばんたくさん書かれたのですが、作品の中でも得点差が大きいので発展途上の方だと思います。次があるならば是非また怖がらせて下さい。
ただ「これは…ウソじゃないか?」という作品もありましたが、何が起きるか分からないのが実話怪談ですので、本当の出来事なんだと思って講評を書きました。辛かったです<苦笑

楽しい催しをどうも有り難うございました。

 

 

今回、寡作の方に秀作が多いというご意見を多く頂戴しています。
一作を大切に仕上げた方の努力が実ったという見方ができる一方、リスクを恐れずに(仕上がりに対する評価が割れることを恐れずに)多作に挑まれた方もいらしたわけですが、多産と高品質の両立は、やはりおいそれとは実現できないということだったのかもしれません。

寡作な方々が、「高品質でなおかつ量産もできる」という域に達すれば、来年の恐怖箱に名を連ねることもあったかもしれないのにな、という気持ちで一杯です。
今回の傑作が、今作限りの偶然であったのか、同レベルのものを量産できるのかは、実際に量産できるということを実証していただけないかぎり、なんとも判断が出来ないのが心苦しい所と言いますか……。

実話怪談を娯楽として楽しんでいる多くの方にとっては、語られている主人公が酷い目に遭う程、手を打って喜びたくなるという気持ちは理解できます。
一方で、それらの体験者は実在しており、その多くは存命であり、解決していない問題を抱えたまま今を生きているということを、体験談を実話怪談に仕立てあげることに従事している我々は、心の片隅においていつも意識しているべきなのではないか、と思うときはあります。
実話怪談は、著者の手柄ではなく、体験者の人生の営みの一部であり、それを実在の人物から実際に苛まされている出来事として受け取り預かる限りは、面白半分や虚栄心、自らの名を挙げようという功利意識から関わってはいけないもののようにも思います。これは、幽霊の存在を信じる信じないとは別のベクトルの話なのではないかな、と。人としての話というか。

28=山際みさきさんは暫定順位1位、総合順位3位(1位は空位)と後退した結果に終わりましたが、これまでの超-1、全3回を通じて、一度も順位を落としたことがない、もしくは毎回何らかの形で成長してきた人とい言えます。これはなかなかできないことです。
そして、第一回から通じて、ネタの量が尽きることがないというか、怪異との遭遇率がまったく衰えていません。実話怪談に限った話ではありませんが、書けば書いただけ成長するのが文章力です。山際みさきさんの文章力の変化については、ここで小賢しく説明を重ねるより、2006年大会、2007年大会、そして今年と数を重ねた軌跡をなぞることができますので、そこで実際に間近にご覧頂くのがよいかもしれません。
文章は、書けば書いただけ成長します。後退はないのです。
山際さんの成長の足跡は、この説の裏付けになっているのではないかとも思います。

一方で「これはウソじゃない?」と思えるものが残っているという指摘があることも事実ですが、これもまた、体験談を説得力を持って説明しきるだけの熟成度が今ひとつ及ばないということなのかもしれません。
どれだけ不条理で常識からかけ離れていても、「明らかにおかしい。それが事実であることが恐ろしい」、という認識を持っていただけるように書くことは不可能ではありません。山際みさきさんが、そうした執筆能力を獲得していったら、と思うとこれは脅威であり同時に心の底から楽しみであるとも思えてきます。

実話怪談は、信じられないような話であるほどよく、しかし現実から乖離しすぎていることについての説明が不十分だと信用して貰えないという、相反する性質を持っています。
これについて、どのように消化していけるかが、個々の「発掘者」に求められるところなのかもしれません。

繰り返しになりますが、超-1は来年、2009年の開催が確定しています。
本年度を参加者応募者として参加いただいた方、辛辣な講評者としてご意見を賜った方、一歩以上引いたところから読者としてご堪能戴いた方、それを書籍としてご覧頂く方などなど、多くの関わり方があったかと思います。
が、また来年、2009年の春までに新たな実話怪談を探し、掘り、仕込み、書きためて、新たな実話怪談として、誰も聞いたことのない恐怖を形にして開陳していただけることを、僕よりも多くの読者/講評者の方々が待ち望んでおられるのではないかと思います。

どうかまた来年。

応募者の方におかれましては、凄いのをよろしくお願いします。
講評者の方におかれましては、凄いのに腰を抜かす支度をお願いいたします。

 

ではまた、来年!