初めまして。または、「超」怖い話をご愛読いただきありがとうございます。
超-1は、2006年に「超」怖い話の共著者を捜す大会として行われたものです。
2007年は昨年とは若干雰囲気やルールの一部が変わりましたが、超-1が「超」怖い話を支えうる実話怪談著者を捜そうという目的のものであることには、何ら変わるところはありません。「超」怖い話がこれからもずっと続いていくようにするためにはどうしたら? 高い評価を得、著作も増え多忙を極める平山夢明氏一人の肩に全依存しているだけで本当にいいのでしょうか? というのが、大会催行の発端でした。
また、超-1から、「超」怖い話から、第二第三の“平山夢明”が輩出されるようになれば、実話怪談という異端のフィールドから世に出た平山氏の援護射撃にもなるかもしれません。そうした才能を見つけだし天高く打ち上げる射場として、超-1や「超」怖い話が機能するようになっていくことも、超-1の目指すべき方向かもしれません。
が、超-1はそうした実話怪談著者志望者の未来を作るための祭典である一方で、超-1は「超」怖い話を読みたいと、年二回待ち続けてくださっている読者の皆様のための祭典でもあると思っています。
怖い話を読みたい。「超」怖い話を読みたい。そうした熱望に著者チームが応えられるのは1月7月の年二回だけです。
しかし、超-1/2006年大会を通じて、著者チームが見つけだすもの以外にも、世の中には信じがたいこと、拒絶されてしまう体験がまだまだ多く埋もれているのだな、ということを確信しました。
そうした話を知っている方、発表する機会を求めている方に、そうした場を提供するのは確かに超-1の役目かもしれません。
同時に、体験談を信じてくれる方、よき読み手として実話怪談を読み解いてくださる方を満足させる場であることもまた、重要ではないかとも思います。
実話怪談は、体験者、著者、読者のトリニティによって成立するもの。
体験談を語る人を信じなければ始まりません。文章力自慢だけでは成り立ちません。読者が読み解くことで初めて実話怪談は完成するのだと信じています。体験談を発掘し、著述して「さあどうだ」と開陳しただけでは、それはまだ実話怪談ではありません。超-1に寄せられた多くの作品が、実話怪談に成るためには、読者の力が何より欠かせません。
読んでいただきたいのです。
驚き、震え、溜息を漏らしていただきたいのです。
その感想を、伝えていただきたいのです。
超-1は、読者の皆様が読むことによって、そして一票を投じることによって初めて動き出すのです。
著者が何者であるかは気に留める必要はありません。
寄せられた話は、すべて事実であるという体験者と著者の言を信じています。
そこにある実話怪談について読者としてどう受け止めるかについて、声をあげていただければと思います。
それが、良き著者を育み、秀作怪談を産み、傑作選を紡いでいくことに繋がっていきます。
「超」怖い話はお金がありません。力もありません。影響力だってそう大した物でもありません。
ないない尽くしの「超」怖い話に、ひとつだけ誇れるものがあります。
それは、読者の皆様によってその命脈を保たれてきたという自負です。
シリーズとして二度の臨死・休刊を経験した「超」怖い話は、黄泉から現世へ二度呼び戻されました。
我々の死を許さなかった呼び声は、読者の皆様によるものでした。
超-1も同様です。
2006年大会の結末、夥しい作品に基づく傑作選・怪コレクション三部作を実現できたのは、読者の皆様による後押しの結果でした。
主役は、怪談であり、体験者であり、著者であり、そして何より読者の皆様なのです。
良き読者であり、同時に最凶に餓えた怪談ジャンキーの皆様。
超-1実行委員会一同、今大会もまた怪談ジャンキーの臓腑を満たす超-1でありたいと願っています。
「超」怖い話の明日を作る超-1に、是非その主役の一員たる読者の皆様にもご参加いただければ、これに勝る喜びはありません。
ともに、超-1を楽しもうではありませんか。
超-1実行委員会 加藤 一